狐狸狐狸(陸)
父の通夜の日のことである。
わずかな身内だけの通夜とはいえ、それなりに準備もあり、慌ただしくしていた昼下がりのこと、インターホンが鳴って来客を告げた。
姉が出たところ、誰もいない。
誰ぞいたずらでもしたのかと準備に戻ると、再びインターホンが鳴る。
再び出てみても、誰もいない。
田畑に囲まれた田舎町のことである。いたずらをするような子供がいれば、どの家の子かしれようというものだが、母にも叔母にも心当たりはなさそうであった。
いったい何事かと一同首をひねっていると、母が仏間で寝ている父に声をかけた。
「ちょっとお父さん、いたずらしないで」
その後、インターホンが鳴ることはなかった。
星に願いを
僕が初めて触れた神話は、父が買ってくれた星座の神話でした。真っ黒な宇宙にきらきらと輝く星々の写真が大好きで、オリオン座やおおぐま座、カシオペア座が特にお気に入りでした。
幼い頃の僕にとって神話とは「星の話」であり「宇宙の話」だったのです。だから、宇宙には神様がいるものだと思っていました。
「ナイト・テイル」のプロットを考える時も、ごく自然に「最後は宇宙の話にしよう」と思いつきました。宇宙に神がいるかどうか、という命題は全く頭をよぎりませんでした。4巻執筆中に父が倒れた時、冒頭に献辞を入れてもらい、一緒にリハビリをがんばろうと伝えるつもりでいました。結局、父は駆け足で空の彼方に旅だってしまいましたが、あるいは彼は、はやぶさを助けにいこうとしていたのかも、と今になって思います。人の好い父の事ですから、「ちょっと手伝って」と言われれば喜んで飛んでいったに違いありません。
手術の日、最後に交わした握手の力強さを今でも憶えています。あの日受け取ったものを、いつの日か、僕も誰かに託して旅立ちたい。――はやぶさのように。
今回、宇宙の神話に新たな1ページが記されていく瞬間に立ち会えたことを嬉しく、また誇りに思います。
財布を新調
長年愛用していた財布がさすがにくたびれてきたので、清水の舞台から飛び降りるつもりで新調しました。「革財布・革小物のお店 mic (ミック) - 機能性を追求した革財布専門ブランド」というお店で購入した、日本の伝統工芸「姫路白鞣し革」による財布です。「王様の仕立て屋」22巻で紹介されていたのを見て、普段発揮されない方向に物欲が出てしまいました。
写真ではちょっと僕の腕が悪くて残念な色合いですが、白鞣し革の特徴はなんといってもこの暖かみのある白さです。写真でも色ムラがあるように見えますが、これは元々の革のムラが出ているものです。染色してあるのではなく、鞣しの技術によって白い牛皮を白いまま鞣してあるのです。
普通、姫路白鞣し革の工芸品はこのムラを隠すのに柄を入れるようですが、そうするとどうしても婦人向けの品になってしまいます。今回はムラそのものを革の味わいとして楽しむ方向で、あえて無地のものを探して購入しました。
僕の原稿料で買うにはちょっと勇気の要るお値段でして(友人には「本革の財布なら普通こんなもんだよ」と言われましたが)、持ちきれるんかこんなのという気もしますが……まあ何事も経験です。きちんとした手入れが必要な日用品をひとつ持ってみて、使い続けられるならよし、うっかり駄目にしてしまうのもそれはそれで良い経験になるでしょう。micさんでは修理も請け負ってくださるとのことで、じっくりつきあってみたいと思います。
飄々と
父の四十九日法要が近づいてきました。
生前から「葬式も墓も何もしなくていい」ということを言っていた人ですが、全く何もしないというのも確かに寂しいものです。母とは樹木葬にするのはどうかと話し合ったりしています。
冒険とミステリをこよなく愛した人でした。それなりに大手の会社に勤めながら、一切の出世を断り、ただ黙々と与えられた務めを果たしつつ、週末には登山に出かけたり、マラソン大会に出たり、僕を釣りに誘い出したり、スキーをしたり、麻雀をしたり、将棋や囲碁を教えてくれたり……定年を間近に控えてもスノーボードに挑戦するなど、次から次へと思うままに人生を謳歌した、椎名誠のエッセイを地でいくような男でした。
異変に気づいた時には既にすべてが手遅れになっており、僕らが別れへの覚悟を決めるまで、ひと月の間留まり、そして飄々と去って逝きました。
今でも、ひょっこりと帰って来そうな気がしてなりません。