武久源造

 人間いつ病気に倒れるかなんて解らないものです。
 ある年の冬、僕は「生演奏聴かないと死んじゃう病」にとりつかれまして、たまたま新聞に記事の載っていた武久源造チェンバロコンサートに出かけていくことにしました。それまで1人でコンサートに行くことなど無かったのですが、この時ばかりは「行かないと死んじゃう」ので行った訳です。
 子供の頃からバッハのチェンバロ協奏曲とかが大好きだったというのもあるんですが、今でもなぜ武久源造とゆー、それまで一度も聴いたことのない人の、おそらく一度も聴いたことのない曲ばかり演奏されるコンサートに行く気になったのかよく解りません。やっぱり何かのビョーキだったのでしょう。
 今考えてみれば至極当然の成り行きなことに、行ってみたら見渡す限り音大関係者ってー感じのコンサートでありました。
 オルガニストとしても活躍されている武久氏ではありますが、どっちみちパイプオルガンもチェンバロもクラシックの中ではやっぱりマイナー方向の楽器な訳で。当然のことながらそーゆー人のそーゆー楽器のコンサートを埋めるのはやっぱりそーゆー方面の人々なのですよね。そんな訳であからさまに「部外者」な僕は大変肩身の狭いとゆーか場違いな雰囲気の中、わりとど真ん中の席にふんぞり返ったりしていました(なにやってんだか)。


#学生さん用の席は安い代わりにはじっこだったりした訳です。


 武久源造という人は実は生まれてすぐに視力を失われまして、聴覚と身体感覚だけであのやたらと鍵盤の多い楽器を弾きこなす訳です。それもこの時のコンサートでは7台の形式の異なるチェンバロをとっかえひっかえ弾くとゆー趣向で、中には「黒鍵が二つずつある」チェンバロクラヴィコード)なんてのもありました。


#つまり「厳密にはG#とAフラットは別の音だ!」という思想に基づいたクラヴィコードな訳です。


 正直僕にはその違いというのは解らない訳ですが、そんな化け物のよーな楽器を軽々と弾きこなす武久源造とゆー人はやっぱり天才なのだなあと思いました。


 ところでこの時演奏された楽曲は比較的近代〜現代の作曲家による曲で、大変素晴らしいものだったのですが、どこにもCDが売ってなかったりする訳です。ていうかそもそもCDにすらなってないとか、CDはあっても日本には輸入されてないとかそんなんばっかりでした。がっくし。